巡回していてこの記事を見付け、コメントを書いていたら長くなってきたので、こちらで。

インターネットがつまらなくなった理由 - 散るろぐ

歳のせいか、インターネットが億劫になって、過激なことも書けなくなってしまった。

 私は元々、大して過激な事は書いてないけど……それにしても、意見を書くのが面倒くさくなってきたというのはある。思う事を書くというスタンスは変わらないけど、怒りを中心とした激しい感情を出すのは、面倒くさい事を招く感が強くて、あまりしなくなったなぁ。

 何処の誰かも分からないおっさんの文章に、必死に文句のコメントを書きに来る人とかいるしな。過去からの私の書いている内容の変化とかを見る訳でもなく、ただその記事単体への脊髄反射コメント……で、それを否定する気も無いのよ、実際の所。私も個別記事への脊髄反射コメントをつけて紹介しているだけで、過去記事を読んで流れを見ている訳ではないから(笑)。

 だから、そういう方面は面倒くさいから書かなくなっていく。ただ、根本にある「日常のちょっとした事の中にある楽しみを見付けていく」というスタンスでの、本当にちょっとした事……それを見付けられたら紹介したいし、私の思いも書きたい。

 つまらなくなったのは、ある程度見る範囲が決まってきて、そこでの風景が変わらなくなっているからかなぁとも思う。私ももっと違う所を見たりした方が楽しそう。それは同時に「私の興味の範囲」が変わっていく必要があるという事。歳を取って固まってしまうと広がらないし変わらない。これを変えていかないと、決まった風景を見るだけになってしまう。

 書きながら自分の考えをまとめていってるんだけど……さて、それは「必要な事」なんだろうか? このままでも良いんじゃないの?という内面の声もある。でもねぇ、私はやっぱり変わっていきたいんだよ。変わっていって、違う物を見て、それが新鮮で感動する事がやっぱり大きい。そこを捨てたら私の楽しみがかなり減りそう。ただでさえ仕事で忙しくて感受性なんてボロボロになってるのにさ(笑)。

 新しい事を見付けて、不慣れながらも試してみて、分からなくてネットで調べまくったりして、それで試行錯誤して……少しずつ分かっていく楽しみって絶対に大きい。これを捨ててしまったら、今後退屈していくんじゃないかって思う。

 ネットの巡回もそう、ゲームもそう、新しい趣味もそう……「今のまま」でいたら新しい刺激は無いんだよね。仕事も同じ。直接仕事に関わるかどうかはともかくとして、新しい関わりを大事にしないと広がらない。遊びなんてのはもっと自由にやって良いと思うし、そういう意味では大好きなインターネットでの広がりは大事にしたいかな。

 インターネットについては、昔感じていた「そこが一つの世界」という感覚は弱まりつつあるけれど、リアル世界における自分の関わりについて調べたりすると、大概は繋がっている。趣味でも仕事でも何でも繋がっていく。だったらそこを楽しくする事は自分の人生においても楽しい物になる要素が非常に大きいんじゃないかって思うんだよね。だから、私は「つまらなくなった」で終わらせずに「楽しくする」為に動いてみたいと思う。