「明日の百より今日の五十」ということわざネタから色々と書いてみる。まずは意味から。
明日の事は不確かで、どうなるか分からない。だから、たとえ僅かでも今日確実に手に出来るものの方が良いということ。
(新編 故事ことわざ辞典(学研))
先の事を色々と考え、予定を立ててそれに向かって一日一日を配分しながら進んでいくというやり方がある。この場合、100の作業を10日でやるからといって、きっちりと1日10ずつやろうとすると、大概予定外の事が発生し、取り返しが付かなくなったりする。仕事をやっているとよくある事である。こうならないように、今日出来る事は全て前倒しでやっておかないと後で大変な事になると……よく言われる事である。
しかしながら、作業などというのは、あまりやっていて楽しい物では無く、出来れば増やしたくない。だから後で急に作業が増えないように、現在ある作業をアピールしてみたりする……そんな時期が過去にあった。結果から言えば、追加で作業を増やされる事には変わりなかった。だったら、早めに作業を片付けて後で楽が出来るかも知れない事に期待する方が良いかも知れない、と思うようになった(笑)。
更に仕事を続けている内に、自分が自分のやるべき仕事を定義し、それに基づいて作業を考え、行動に移すようになると、益々早めに回したくなる。想定外の事も多くなり、それへの対応で時間を喰う事が増える経験があったからである。早めに作業を行い、想定外の事への対処を行う事で、次からは効率良く対応出来る。だから、少しでも早めに対応する。
逆に、お金を手に入れるとしたらどうだろう? たとえば、学生だとして……もう少し待てばもしかしたら家庭教師のアルバイトが入るかも知れない。家庭教師は結構効率よくお金が入るので、私も一度はやってみたかったバイトである。しかし、現在すぐの要求は無く、もしかしたら来週には需要が出てくるかも知れない。そして目の前の求人の張り紙には、時給500円のバイトがある。さぁ、どちらを選ぶ? という事だろう。
余裕があれば、時給500円などという低収入なバイトはせず、家庭教師の要望が入るまで待ちたい所である。しかし、待っていれば、この時給500円のバイトすら無くなってしまうかも知れない。こういう場合どうするかと考えてみた際、たとえこの薄給バイトであっても、あるかどうかわからない家庭教師のバイトよりも確実に手に入る分だけ良いという事だ。
私はこういう考え方が嫌いでは無いし、現に時給500円でバイトをしていた口ではあるが(実話)、どうもこの考え方は損な考え方であるように思う。
何故かというと、やたら目先の利益に追われて、トータルとしての利益が無いように思えるからだ。上のバイトの例で考えてみよう。2年の間でバイトするとする。一度始めたバイトをすぐにやめてしまうなどというのは、やはり失礼であるし、非常識であるという事で最低半年はやるとする。そこでもっと高給のバイトがあれば良いが無いかも知れない。また、家庭教師のバイトが運良く入ったとする。これを2年ほどやってみるとしよう。給料なんてほぼ3倍から4倍はあるだろう。これを2年という期間で考えると、例え2、3ヶ月バイトが無くとも、トータルでは家庭教師が得なのではないだろうか。
なら、何故そういう考えもあるのに、500円バイトをしていたか……ようは目先の金が無いと生活が苦しかったからである(笑)。不確かな存在のバイトよりも、確実に稼げるバイトをしようとすれば、必然的にこういう選択になるだろう。慌てる乞食は貰いが少ないと同義になる。
とはいえ、先の事は分からない。今に余裕があるのであれば、先を見越して目先の利益に囚われない方が良いだろう。しかし、余裕が無いのであれば、先の事はともかく、今、出来る限り手にするようにした方が良い。先を見る事無く自分自身が終わってしまっては意味が無いのだから。私はそう思い、今できる事を全てやるようにしている。若い頃は先送りしていて痛い目に遭った経験があっての事だから、これも年の功なのかもしれない(笑)。

