内容が正しければ、どういう伝え方をしても構わないか? 私はそうではないと思う。多少の表現のブレぐらいは気にしないようにすべきだと思うが、相手を感情的にさせるような言い方しか出来ないのは問題があるだろう。

 同じ事を伝える場合でも、その伝え方で相手の理解も、感情も、そしてその後の行動も変わる。例えば、何か資料を作って、その資料についての感想を求められたとする。見た中で、この表現を変えたら良いのになぁと思う所があったとしてどう伝えるか。

 「いいねぇ、この資料。あ、ただ、ちょっとここのAという表現は流れ的にBにした方がもっと相手に伝わるんじゃないかな。」

 「悪いけど、これ、Aという表現をしてたら駄目じゃない。これは当然Bでしょ。何でAなんかにしたの?」

 この2つの言われ方をした時、どちらが受け入れ易く、またBにしようという気になるか。私は前者だと思う。勿論、Aという表現に意味があってそうしたとして、その説明をする際の気持ちにも大きく影響してくるだろう。

 前者であれば、Aにした理由はこれこれです。ただ、Bという表現も伝わり易いですね。ただ、拘りとしてこれこれの理由があるので、BをベースにAのこのエッセンスは入れていきたいと思います……みたいな感じで相手の意見を受け入れた上で自分の考えもきちんと出していけるような、そんなやり取りになるだろう。もしくは、Aの方が正しいのならば、きちんと説明出来るだろう。アドバイスを頂いた事に対する感謝もありつつ、意味合いとしてAでなければならなかった理由なども説明し、互いに理解が深まるのではないだろうか。

 後者では、いきなりそんな事を言われてカチンと来るので、まず感情的な面が出てくる。いきなり駄目とは何事だと。更に「当然」とか偉そうに言いやがってと、更に感情的になってくる。挙げ句「何で」とか言い出したよ、こいつは……と、もうまともに話す気力が無くなるだろう。得てして後者の言い方をする人は、言い方自体もやたらトゲがあったりするので、更に言われた側は苛々する事になる。

 仕事をしていて、前者のタイプ、後者のタイプ、両方を見る事があるんだが……後者の人とは一緒に仕事をしたくなくなる。前者のタイプは「良いアドバイスをくれる人」、後者のタイプは「鬱陶しい奴」と、言っている事自体は「AをBにした方が良い」という事なのに、まるで違う受け止められ方をしてしまう。

 そしてその後の付き合いにおいても、前者タイプには、色々と相談をしたくなるだろう。自分が考える事について、他の人の考え方や視点を元に、意見を貰えるのだから。それでやり取りを通じてより良い物が出来ていくという好循環が想像出来る。

 こういう人を何人か知る事が出来ると、仕事をしていて凄くありがたく思う。同時にこういう人には、私も出来る限り同じ様に、相手の仕事に対して意見を求められた際に全力で応えたいと思う。そうやって良い関係を作ってこれた人達もいる。そしていつでも何かしてあげたいと思う。

 これまで会社で尊敬する上司はこのパターンだった。完全に相手の方が正しくても、まずは聞いてくれて、受け止めてくれる。その上で相手の意見を言い、私が意図している事に対して、本質がXであれば、YではなくZで進むべきではないかといったような指摘をしてくれる。私の考え自体の否定ではなく、それを受け入れた上で、更にどうしたら良いのかという事を考えてくれる。そういう人には敵わないと思うし、素直に凄いと思うし尊敬する。

 それに対して後者に対しては、やむを得ない場合を除いてはもう関わらないようにしたいと思うだろう。前向きな意識が見えない、ただ否定するだけで、しかも自分が正しいのだからと相手の話をまともに聞こうともしないようなタイプでは、話すだけ時間の無駄だし、気分も害するだけとデメリットしか感じられない。指摘が正しかったとしたら、それを理解する気力を失うという点で、相手にとってもデメリットだろう。同時に、そういう人を助ける気も起きないので、その人は周りの人からも助けて貰えない。

 私は出来る限り前者になるように意識をしている(意識しなくてはならない面が私の中にもある(笑))。まずは相手の言う事を全部聞いて、受け入れる。そして良い所をどんどん取り入れる。そしてこれは違うんじゃないかという点については、理由付きで言う(隠したりはしない。意見は言わなくては)。更に良くしていきたいよね的気持ちを込めて。そのやり取りの中でより良い答えが出てくればと思っている。

 自分自身の考えだけでなく、相手の考えも受け入れた上で、更に良い物を考え、そしてその答えを出す事を一緒にやっていくという意識を持って、それを相手に伝えていく事が、相手の気持ちや行動に良い影響を与えられるのではないか、私はそう思う。