私はずっと匿名(ハンドル)でサイトやブログをやってきている。ただ、固定のハンドル(以下「コテハン」)でいるので、「☆YAS!☆」の発言は(騙りを除けば)私の発言であると言える。信頼性として、実名と匿名であれば実名が信頼できるのは分からないでも無いが、コテハンでやっていれば、信頼性という物は出来てくるのではないだろうか?

 逆に実名であっても、何処の誰であるかは分かるので、責任を問う事は出来るが、信頼性という意味では匿名と変わりがない。内容への信頼性という意味でいけば、名無しでの書き込みですら同じだ。実名だという事を証明する事が難しいのでは無いかという気もするが、それはまた別の問題という事で今回は置いておく。

 ただ、名無しで書く意味での匿名では、内容の信頼性以外に、その内容について問う相手がいなくなるからという理由で真偽の判断をし辛いという事はあるだろう。「その人」への信頼という物を作る事が出来ないから。2chのID付の板だと、24時間以内であればその人のIDで信頼できる場合もあるかな。後はトリップをつける手があるが、あれは期間限定のコテハンのようなものかもしれない。

 この意味での信頼性を考えると、コテハンであっても、サイトやメルアドといった、その人を特定する情報があってこその信頼性という事になるのだろう。つまり、それはパーソナリティという、「その人」と他を区別する為の何かがあって、初めて安心し、信頼できるという意味で。トリップが弱いのは、それが常時「その人」についている訳では無いという辺りだろうか。

 実名や写真を出せば(それが本物である前提でいけば)、「その人」を特定出来るので、当人はしっかりとした記事を書かなくてはならないという意識が強まるだろう。記事への責任という意味で……というのが、実名推進派の考え方なのだろうな。

 私は匿名(コテハン)でやっているし、実名の自分を出すつもりも無い。しかし、自分の書いている文章については、文責は自分にあると考えているし、間違いがあれば謝罪して訂正したり、謝罪するのは当たり前だとも思っている(実際そうしている)。

 コテハンでやっている人は、皆そうではないだろうか? 実名ではないからといって、適当に逃げてしまう人がいないとは言わない。しかし、私はコテハンでやっているサイト・ブログを結構な数見て回っているし、その管理人達に対して信頼をしている。同様に、私のサイト・ブログについても、そう思われたいと思っている。

 匿名だからこそ書ける事は確かにある。実名だと書けない事があり、だからこそ匿名でやっている訳だから。実名では絡みつくしがらみを外して、別の人格として書くからこそ書けるという事もあるし、それが楽しいという事もある。

 だからといって、それは無責任に好き勝手なことを言っているという事では無い。自分の書いた文章への思い入れもあるし、それを自分のハンドルで書いた以上、そのハンドルでの文責もあると考えている。そういう意味で、気を使って文章を書いているつもりだ。

 ハンドルでやっている以上、それがネット住人としての私の名前だ。例えば私が変な文章を書いて問題になったとして、逃げをかましてハンドルごと消えてしまう事は可能だ。だが、同時にそれは「☆YAS!☆」という自分のネット上での人格の死でもある。安易に投げ出す事は出来ない。私はそう思っている。

 ハンドル一つとっても、それを決める時、そして使っている間に、思い入れというものは出来ていく。私はネット上での自分の名前は「☆YAS!☆」しかない(ネトゲは取れなかったので別名だが)。サイトやブログで何かを書くのは、全てこの「☆YAS!☆」であり実名の私ではない。

 ネット上の私の名前は「☆YAS!☆」だから。
 現実の私の本名では無いけれど、ネットで私が名乗る名前は「☆YAS!☆」だから。

 ネットに住んでいて、そしてそこで名乗っている以上、それが実名でないとしても、そこで信頼性は高めていく事が出来るだろう。少なくとも、自分のハンドルに思い入れがあるのであれば。そのハンドルで書き続ける事で、信頼は積み上げられていく……実名であろうとハンドル(匿名)であろうと構わないと思う。

 それでも、本名ではなく匿名の記事には信頼性は無い、と言われなくてはならないのだろうか?