最近、過去記事紹介関連の話題が多く出ていて、改めて考え直してみた。私は過去記事もどんどん紹介したい。最新記事は勿論だが、過去に書いた物も、機会があれば紹介して読んで貰いたいと思っている。これがまず前提になる。

 とは言え、日々、色々な文章を読み、色々な事を考え、それを書いていっている訳で、書いてきた雑文の数も多い。ここ(ひとりごと)だけに限定しても300を超えている訳で、全部読んでくれというのも難しいかもしれない。

 だとすると、何か関連する話題があった時に紹介するのが一番早いように思う。ネット関係の話題はループする事が多く、過去に書いたなぁと思う話題であれば、それを引っ張り出してくると、簡単に自分の考えている事を説明出来るからだ。

 それでも、読み返してみると、少し考えが変わっていたりする。すると、その変化している部分について、少し補足をしておきたくなる。これで、過去記事と今の自分の考えのズレをそこに表し、説明が完成する。

 それによって、昔はこう考えていて、今はこうなっているという事を示す事が出来る。成長なのか変化なのか、それは内容によって違うだろうが、その違いが何処に因る物かも説明できると、深みが増すかもしれない。

 ここではずっと身の回りの事を色々書いてきた。最近はネット関係のネタや仕事関係のネタが多くなっているが、元々は身近な事を書き散らしていく場だった。だから、普通の日記やちょっとした雑記に、過去記事を混ぜていく事は簡単なんだなぁという事に、最近気づいた。

 はてなキーワードのようなもので、身近なネタであれば、過去記事を単語レベルでリンクして紹介する事も出来るんだな。そういう過去記事への誘導方法もある。そうまでしてリンクを貼るのは何故かというと、最初に書いているように、「機会があれば紹介して読んで貰いたい」と思うから。

 ここで、根本的に、何故過去記事まで見て貰いたいのかという点について考えてみる。現在になってからだと、過去記事の時とは考えが変わっている事もある訳で、それならば一から書き直して新ネタにしても良いだろうに、敢えて持ってくるのは何故か。

 時間軸も取り入れて考えれば、その時の自分の考えも、自分の一部であると言える。自分語りの雑文を書いてきている中で、その頃の自分の考えも見て貰いたいという思いがやはりある。今は○○という考えであるにせよ、昔は××と考えている事もあったという事を、見て貰いたい。

 それは同時に、同じ事柄に関して違う考え方があるという事の説明でもある。その違う考えが存在する中で、何故考え方が変わったかという事を「現在」考える事で、昔の考えが何故あったか、そしてそれが今どう変わったかという事を説明し、異なる考えの中での自分の立ち位置がどう変わったかを説明する事も出来るから。

 物事の説明をする為に過去記事を持ってくるという目的と、時間が経つにつれて変わっていく考えとその理由を説明するという目的と、どちらも過去記事を紹介する事でやり易くなる。どちらも「自分がそう思った事」を軸に書かれている過去記事を使い、「今自分がそう思う事」を書くのだから。

 それはどちらも、「私」という何処かの誰かでしかない一人の人間の、考えや思いという物を、物事・時間の両面での差異を、皆に見て貰いたい、分かって貰いたいという気持ちの表れだ。説明し易いとか、違いを説明とか、それらは全て「私」の考えを伝える事を前提に考えている。見て貰うだけじゃなくて、そういった色々な細かい部分をも補完材料にして貰う事で「分かって貰いたい」という思いが、根底に流れている。

 そう思いながら、今日もまた、思いを雑文にしていこう。それがまた過去記事になれば、それもその時の私が思っていた事として、何れ未来の私が振り返り、その時の気持ちとの差異を元にその時の私の気持ちを書いていくだろう。

 そうして続いていく私の雑文は、変化を伴う限り「その時」の完成文であって、私の人生の断片をそこに記した物でしかない。人生全体の断片である以上、永遠に未完成で、その時その時の断片を繋いでいきながら、長い長い文章を完成に導こう。私が何れ書けなくなるその日まで。未来から少しずつ過去を振り返り、その断片を持ってきて、また今の考えと繋げながら、長い長い未完成の文章を少しずつ書き足していこう。そんな私の過去の軌跡も含めて、皆に読んで貰い、分かって貰いたい、そう思う。

<関連>
過去ログを読ませるための方法(from 304 Not Modified)
過去記事を紹介しようとする気持ちについてあれこれと(from 『斬(ざん)』)