巡回をしていて、この文章を読んだら、また色々考えて書きたくなったので、こちらで纏めてみた。こうしてまた時間が無い中で、まなめさんには刺激されて雑文を書かされちゃうんだよな……(笑)。

それをゴミにしか見えない人、宝の山に見える人 - 304 Not Modified



 読んでまず思った事は、物事の価値は、自分で決める物だよな、という事。

 勿論、他の人が良いという物を良いと思う価値観もあるから、そういう見方をするのもありだと思うけど。私は私の好きな物を見たいし、その際には「皆」ではなくて、価値観が近そうな人が「宝」と言っている物を見てみたいとまずは思う。勿論、ニュースサイト管理人として日々、自分でも探して、それを紹介していく。

 同時に、雑文書きとしては、自分の雑文がただのゴミだとは思いたくない。大半の人にとってゴミのような自分語りばかりかもしれないけれどね。ただ、ネットにおける「自分語り」は何処かの誰かが求めているモノであるとも考えていて、それはほんの僅かかもしれないけれど、そこに価値を見いだしてくれる人がいると信じているから。

 その文章が拙いとは自分でも思うが、片言の思いでも、書けば誰かにはきっと伝わると信じて私は書いている。

 また、ネットだけに限らず、本でも、ゲームでも、色々な世界でゴミ扱いされている物もある。でも、それを「周りがどう思うか」「皆がどう思うか」ではなく、「自分がどう思うか」という視点で見た時には違った物が見えるのではないだろうか?

 大多数向けではなく、ほんの一部の人向けかもしれないけれど、その人にとっては面白い物というのは存在する。私が大好きな「世界樹の迷宮」にしたって、DQやFFのように何百万本も売れるようなソフトじゃない。でも、私にとっては、それ以上に面白く感じられる面のある、宝のようなゲームだった。

 ネットで何かを書いていく時、そして誰かの書いた物を読む時、何が「宝」になるのかと考えると、「自分にとっての宝」である筈。他の人が「宝」と思うからといって、自分もそれが「宝」であるとは限らない。参考にはなるかもしれない。ネット上にはあまりにも多くの文章が存在し、更に増え続けているから。見つける為の道標として他の人の声を聞くのも良いと思う。でも、最後に判断するのは自分である筈。

 私は今日もまたこうして一つの雑文を書いた。拙くて、まさに雑文に過ぎないのだが、こんな文章でも、何かを感じたり考えたりするきっかけになれたら嬉しい。私以外にたった一人でも、この文章を読んで何か思って貰えるなら、私は少なくとも自分以外の誰かにとっての「宝」を生み出せたのかなと思う。

 周りがつまらないとかゴミだと言っても、自分が宝を思えるのであればそれで良いのでは無いかな? つまらない何処かのおっさんの日常であっても、そこに何かを見いだせるのであれば、それは「宝」の一つになるのではないだろうか?