最近、何かについて書こうとした際に「私はこうだ」という事を書く事が以前より増えている気がする。更に言えばそれをどんどん書くようにしているようにも思う。

 何かのテーマに対して、理屈を組み上げて「○○だから××である」と書く事も可能だが、そこに意味があるのかという事を思うようになったからかもしれない。理屈ではそうだが、実際はどうよ?という不安、疑問、そういった事が私の中で積み上がっているのかもしれない。

 ただ、私が自分を引き合いに出して書いていくのは、少なくとも私はこうだったという実例を一つ示しているという点で、理論だけよりも答えの一つになっているのではないかと思う。

 勿論、実例だけではなくて、その行動を取った理由、考えに至った理由という物も書いていく。その上で私自身がどうだったかを書く事によって説得力が少しは出るのではないかと思う。私がやった事だけ書く場合も結構あるので、絶対というには程遠いのは認める(笑)。

 客観的な事、主観的な事、どちらもソースとして提供出来る事であり、客観的な情報については仮にもニュースサイトをやっているなら持ってきて然るべきだとも思う。持ってこれる物は持ってきたいとも思う。でも、それが無い物、もしくは「他の個人」の事である場合……それならば私自身の事を書いておこうかと思う。少なくとも他の個人よりは、その状況について書けるから。

 やたら自分が前に出すぎる文章はどうかとも思うが、何かについて書く際に実例として提供出来る一番身近な物は「自分の体験」だ。極論を言えば、理屈とは合わないけど私がやったらこうだったという事も書ける。これはその当人しか書けない、私にしか書けない事になる。

 ニュースサイトである「明日は明日の風が吹く」でもそういうコメントが増えてきた。記事を紹介しつつ、私の思う事を書いていく訳だが、その記事に対して「私ならどうか?」という事を軸にしてコメントをしている。昔はもうちょっと客観的な面があったようにも思うが、今ではとことん私だったらどうかという事を書いているように思う。

 元々、何かの考えを書く以上は、私の事になる訳だが……それを客観的に書くか、思い切り主観的に書くかという違いはあるように思う(結局、主観があるのだが)。私は後者にかなり強く移行しているように思う。頭で考えた事、思う事を書いていきたいと思う気持ちと、じゃあ実際どうなのよ?という事に対する答えとして自分の事を実例に書いていくという事が同居しているという事かもしれない。

 あまりにも「自分語り」が強い文章は拒絶されるかもしれないと思いつつ、「正論よりも実情」とか、「理屈じゃなくて経験」といった事に、私が納得するようになったからかもしれない。こうあるべきだという考えも分かりつつ、では実際どうなんだろう?という事への興味が強まっているからかもしれない。そしてそういう興味を持つ私が何らかの文章を書くとしたら、事実も合わせて書いていくしかない。その時、一番身近にある実例が私の経験という事になる。

 自分でも文章を読んでいて、昔から自分語りはあったが、最近は特にそれが強く出てるなぁと思う。でも、何でそうなんだろう?と考えた結果が上記のような理由になる。そうなると、単純に思考を重ねていく、深めていくという事だけではなく、私自身の経験がどうだったかという事を提示する事は避けられないかもしれない。

 それは自分語りで鬱陶しいと思われるかもしれないが、ある事を書きたい際の実例として挙げていく物になっている筈なので、一つの実例として受け止めて貰いつつ、何が言いたいのかという事を読み取って貰えると、拙い雑文書きとしては非常に嬉しい。

 理屈と根拠……それを書こうとすると、結局は自分に返ってきてしまうのかな……そんな事を思うようになったのは、年寄りが「自分の若い頃は……」と語りたがる事と同じなのか、それとも理屈だけではなく実例を知りたいと思う私自身の気持ちがあるからなのか……と、そんな事を思いながら書いてみたが、やはり私自身がそういう「誰かの事実」を根拠として受け止めているという事が大きいようだ。

 これもまた私にとっての「事実」であり「実例」となるが、この文章を読んだ皆さんはどうだろうか? 実例があるのはどうだろうか?